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今日、自作PCのパーツがすべて揃いました。 前回作ったのは10年近く前の話で、CPUにインテルのPentiumⅢ 800MHz × 2、Mem 1GB という構成で、今でもなんとか順調に稼動しています。 とはいえ、ディスクやらVGAの故障やらでさんざん苦労はしてきました。 いままで何度も買い換えようと思ったのですがなかなかいいタイミングがありませんでした。 このたび Windows7 が発売されるのを記念して、買い替えを決心しました。 今回選んだパーツの構成は下記のとおりです。インテルからAMDに乗り換えることにしました。 CPU :Phenom II X4 945 Box (Socket AM3)(TDP 95W版) M/B :GIGABYTE GA-MA785GT-UD3H Memory :UMAX Cetus TCDDR3-4GB-1333 (PC3-10600-2GBx2) SSD :SuperTalent SSD UltraDrive M FTM64GX25H HDD :SEAGETE ST31000528AS (1TB SATA300 7200) x 2 CASE :Antec SOLO BLACK Power :ZUMAX製 ZU-650B-KA DVD :I/O DATA DVR-S7200LEB2 Monitor :I-O DATA LCD-MF242XBR Keyboard :Microsoft Wireless Desktop 3000 (MFC-00029) FDD :Owltech YD-702DB/N Case Fan :Antec Tri Cool 92 x 2 OS :Windows Vista Ultimate SP1 (Windows 7 Upgrade) その他 :2.5inch -> 3.5inch マウントアダプタ(SSD用)
●ゴリオ爺さん(下) ●バルザック 作、高山 鉄男 訳 ●岩波文庫 262ページ 『ゴリオ爺さん(下)』 を読み終えた。 上巻の最後に企てられたヴォートランの計画は彼の逮捕によって阻まれる。 その計画とは、父に見捨てられたヴィクトリーヌの兄を決闘で殺害し、遺産をヴィクトリーヌのものとすること。 そして、ヴィクトリーヌとラスティニャックを恋仲にして遺産を手に入れることであった。 ヴォートラン逮捕の一件は下巻・第2話の大きな節目に当たると考えられる。 その後、ラスティニャックはゴリオ爺さんの下の娘 デルフィーユ(人妻)と恋仲になり、ゴリオ爺さんとも親子のように親密な仲となる。 ここまで読んできて、当時のフランスの上流階級はどうなってんのよ!という疑問が湧いてきた。 人妻が平然と愛人を作り昼間っから情事にふけり、夜は舞踏会で派手に遊んでも旦那は知らん顔なんだもの。 まあ、そういう時代もあったということで・・・日本でも同じか。 それはさておき。 デルフィーユはその育ちのよさ、頭のよさ、青年特有の純粋な情熱から、社交界に華々しいデビューを果たす。デルフィーユも彼を心から愛し、彼女自身も社交界に受け入れられる幸運に恵まれる。 しかし、ゴリオ爺さんの二人の娘はそろって家庭での金銭トラブルを抱えてしまい、ゴリオ爺さんを困らせる。 もう娘に出してやる金を一銭も持たないゴリオ爺さん、学生の身分で金とは無縁のラスティニャックには彼女達を救う術はない。 娘達が夫から受ける悲惨な仕打ちに抗えないゴリオ爺さんは病に臥してしまう。 愛する二人の娘の姿をついぞ見ることなく、隣人のラスティニャックと彼の友人で医学生のビアンションに看取られて最期を迎えるゴリオ爺さん。 そのゴリオ爺さんが死に際に語る言葉はまさに名言と言えよう。 このゴリオ爺さんの言葉はこの物語のなかでは特に重要で、読むものに共感を呼び起こす。 「わしにはちゃんとわかっておった。子供ってのはどんなものか、死んでみなけりゃわかりゃせんのじゃ。ああ、ウージェーヌさん(ラスティニャックのこと)、結婚なんかするもんじゃない、子供なんか、もつもんじゃないな。子供たちは命を与えてやっても、お返しには死をくれてよこす。この世に命を受けさせてやったのに、このよからこっちを追い出そうとする。・・・」 また、ゴリオ爺さんの姿を見てつぶやくラスティニャックの言葉も心を打つ。 「美しい魂はこの世に長くとどまることができないのだ。実際、偉大な感情が、こせついた、卑小な、そして浅薄な社会などとかかりあいをもてるはずがないではないか」 「神様はきっとおられる。おお、そうだとも。そうして僕らのためによりよい世界を作っておおきになったのだ。でないとすれば、この世界は無意味じゃないか。・・・」 このくだりは、『カラマーゾフの兄弟』でイワンが語る「謀反」とは反対の意味で通ずるものがある。イワンは神の存在はありえないと言った。 【所感】 ゴリオ爺さんの生き様、死に様を見て、子を持つ親として、特に娘を持つ親として、「親とはどうあるべきか」、また、「息子や娘としてどうあるべきか」ということを強く考えさせられた。 娘を持つお父さん必読の書であることは間違いないです。 --- wikipedia ---ゴリオ爺さん
●ゴリオ爺さん(上) ●バルザック 作、高山 鉄男 訳 ●岩波文庫 321ページ ●初版 1997年 あたりまえですが、初版 1939年(70年前)の 『ボヴァリー夫人』 に比べるとかなり読みやすい訳です。 これまた、あたりまえかもしれないけれど、登場人物のフルネームその他呼称を覚えていないとなにがなんだかわからなくなる。 苗字だったり、名前だったり、愛称だったり、あだ名だったり・・・。 --- あらすじと感想 --- 野望を胸に田舎町からパリに上京し学生生活を送るラスティニャック。 彼が住まう下宿ヴォケ館の個性的で貧しい住人たち。彼らとは対照的な社交界の艶やかな人々。 社交界の中で立身出世をはかろうとするラスティニャックに不敵な笑みと智慧をちらつかせる下宿人ヴォートラン(実は同性愛者)。 父親に見捨てられて貧しい暮らしを強いられるヴィクトリーヌ・・・。 二人の娘を上流社会に嫁がせたが故に苦悩に満ちた生活を送る隣室のゴリオ爺さん・・・。 とさまざまな人間模様が描かれる。 上巻ではラスティニャックの放埓と堕落した心中を察したヴォートランが彼を悪の道に巧妙に誘い込むところで巻を閉じる。 前回読んだ 『ボヴァリー夫人』 とは異なり、この『ゴリオ爺さん』 の前振りにはスリルがあり、巧妙な処世術や教訓なんかも織り込まれていたりする。 ちょっとした名言や名ぜりふが含まれているけれど、うっかり読み飛ばしてしまうので読解力が試される・・・私は落第だ。 ストーリーは、フローベールの写実主義のようなまったりした美しい描写は無いけれど、スピード感のある展開で進んでゆく。 上巻ではほとんど脇役のゴリオ爺さん、下巻ではどんな役割を果たすのだろうか。 そして、ラスティニャックは大きな野望を現実のものとすることができるのだろうか・・・。 感動の幕引きに期待しながら下巻を手に取る。
●ボヴァリー夫人(上) ● フローベール 作、伊吹 武彦 訳 ●岩波文庫 192ページ サマーセット・モームがあげる世界の十大小説のひとつボヴァリー夫人。その上巻を読み終えた。 約100年前のフランスの田舎町が舞台で、 まずは夫となるシャルル・ボヴァリーの生い立ちから始まる。 頼りなくも母の望みどおり医師となるボヴァリー青年。 彼の最初の結婚と不幸な別れ。そして、主人公であるエンマ(エマ)との出会いと再婚までが淡々と描かれる。 フローベールは写実主義を確立した人だそうで、道理で微に入り細に入り心象や情景の描写が綴られる。その観察力と表現力には脱帽します。 医師の妻という恵まれた環境にありながら退屈で満たされないエンマの心は禁じられた恋への入り口へと向かってゆきます。 そして、物語に少し退屈してきたところでドラマの予感が訪れます。 しかし、 ここまで192ページ、なんと長い前置きなんだろう。 ボヴァリー夫人より先に退屈に耐えかねると思った矢先に訪れる物語の展開。 流石は世界の十大小説に数えられるだけあって、まるで読み手の心をも手に取るように物語が進行する。 そしてすかさず下巻を手に取ったのであります。 下巻はなぜか263ページ、上巻より70ページ多くなっている。 訳者はなぜここで巻を区切ったのか、その謎解きをしながら読み進むのもなかなか楽しい。 --- つづく ---